エヴァの呪縛 考察 →碇シンジクローン説

エヴァQに出てきた謎の一つに「エヴァの呪縛」がある。
14年がたっているのに、歳を食わないアスカ、シンジ、マリ。

これらは何を意味しているのだろう。
一つの仮定をしてみた。

■Qに出てきた碇シンジは人間を使徒化させたハイブリッドクローンなのではないか?
 そして、エヴァの呪縛とは、パイロットはその特殊クローンの形でコピーされ続けて永遠に行き続けるという話では?ということではないだろうか。
 というより、エヴァのパイロットは皆クローンなのではないだろうか。

根拠を順を追って示してみたい。



はじめに:最後のアスカのセリフ =シンジは人間ではない
 「L結界密度が高すぎてリリンは近づけない」。最後にアスカがいったセリフである。
 リリンとは人間・人類のことだ。そしてアスカによれば”ここは人間が立ち入れない地域・領域である”と言っているのである。あれ、そこにシンジもいるんですけど。。。

 この「リリンは近づけない」というのは「入れない」ではないし、密度という表現からしてもこの結界が壁のようなものではなく、なにか人間には有害なことが起こる結界、領域があるということだと思える。それなら密度という表現がされているのも納得である。密度が高いから近づけない、というのはやはりなにか有害なのだろう。

 ではやはりシンジがそこに普通にいるのは変だ。人間がいれない場所にシンジが特に体調の変調もなくいる。・・・ということはシンジもすでに人間ではないということなのではないか?

 つまり、もはやシンジは人間ではなくなっている。この人間ではないというのは、シンジはクローンであるということであり、クローンとは使徒化されたクローンだということになるのではないだろうか?ちなみにアスカもレイもそこにいるから、彼女らも人間ではない。


1:まずシンジがクローンであるという可能性を探る。
 1-1;ミサトのセリフ 

 次のポイントはシンジがブンダーでミサトに再開した時のミサトのセリフである。
 「碇シンジくん・・・でいいのよね・・・?」と言っていた。
 この表現は奇妙だ。シンジが初号機から回収されて本人としてサルベージされていたとすれば、彼がシンジであることは明確で本人確認をする必要はない。

 また、鈴原妹が「記憶の連続性が確認ができます」と言っていることも奇妙だ。
 もし長期間眠っていたことで記憶があやふやなのだとしたら「記憶の喪失は認められません」というような表現になるだろう。なぜなら、その場合のポイントは「記憶が消滅・欠落等の問題が発生していないか」ということに焦点があてられるはずであり、「連続しているか」ということとは微妙に異なるはずだからだ。

 サルベージされたのは、シンジの魂と記憶だけで、それを14年前から作っていてちょうど肉体的に14歳に育ったシンジの器に移植したのではないだろうか。


 1-2:なぜ前の事件から14年なのか?
 さらに、この14という数字。ひっかかる。
 というのは、丁度シンジの年齢と一緒の年数だからだ。

  あれから14年後に行われた宇宙空間の初号機奪還計画。もちろん準備に時間がかかったのかもしれないし、AAAブンダーの用意に14年かかったのかもしれない。

 一方で14年も待つのは奇妙という側面もある。というのは、エヴァの維持費があるため時間がかかればかかるほど資金的には枯渇するのではないか?という側面もあるからだ。

 それにネルフの資金源がゼーレであることは間違いないだろうが、ヴィレにもおそらく国連というスポンサーがついていると想像できるので、初期に投入する資金がなかったとは思えないのだ。
 スポンサーが居ればいつでもいいということではなく、奪還自体は14年を待つ必要がなく時間をかければかけるほど資金的には厳しくなっていくと考えるべきだ。

 したがって時間を待ったことは、何かしら意味があるのではないかと言えそうだ。
 それがシンジクローンを培養する時間だったということなのではないだろうか。

 エヴァの世界では、クローンは突然14歳の身体を作れるわけではなく、14歳の身体にするのにやはり14年かかるっているようだ。例えば、旧世紀版では綾波レイは3人いるがその時の歳通りのクローンになっている。


2:クローンをどうやってシンジにしたのか?
 エヴァの世界では、魂を制御し肉体間で移動させることができる。
 
クローンと魂の問題はエヴァではどう扱われているだろう。
 結論から言うと魂を扱う技術はエヴァの世界では「操作可能なもの」として扱われている。少なくとも研究対象になっていて、作中でも研究がおこなわれていることが伺える。

 例えば旧世紀版を見てみよう。作中では魂の扱いに関する事象がいくつかでてきた。
 魂の扱いについては「デジタル化(フェイク化)」と「魂の肉体間の移動」の焦点が与えられている。

 綾波レイ(身体は碇ユイのクローン)の身体にリリスの魂を固着化させるということに成功している。少なくとも元々他人の身体にリリスの魂を埋め込むという荒業にかなり初期の段階で成功しているわけで、そのノウハウはあることが分かる。作中でも綾波の二人目と三人目で魂の移動が行われている。

 魂の扱いは研究対象であり、コントロール可能にするという動機があることは見てとれる。ダミープラグも近い問題だ。あれは魂を似せたフェイクなので、それも魂に関する技術の一つだ。エヴァの世界では魂を肉体に固着させると技術というものが存在しているということは言えそうだ。

 ここでは碇シンジの身体に魂の移動ができる背景が技術的にありそうだということを確認した。ちなみに、その技術をもっているのは赤城リツコであるようだ。
 *ちなみにリツコはヴィレに所属しているから、もしシンジがクローンだとすればシンジを14歳で復活させることができたのはヴィレサイドでネルフではなかったのかもしれない。ゲンドウはヴィレにシンジを復活させるために14年間まったのかもしれない。



3:はたしてシンジはどのようなクローンなのか?/クローンを使徒とのハイブリッド化させている?
 エヴァパイロットがクローンかどうかの是非を置いておいてもクローンを人間ではないものとして作るきっかけになりそうな事件は破の中であった。アスカの参号機事件である。この事件の後アスカが回収された後、リツコが「重要なサンプル」という言い方をしている。つまり浸食されたアスカに何らかの試験などを行おうとしたことが伺える。その成果として人間に使徒の要素を与えているのではないかと想像することができる。

6:アスカとマリは?
 アスカはたぶん使徒。アスカがガラスを素手で割る姿は人間ではないのを彷彿とさせる。または、使徒化した状態でクローン化されており、肉体的に14歳で量産され、魂だけ右から左へ移植され続けているといえそう。
 マリも同時にクローンで魂を同じ身体に移植され続けている?

従って、
 A:クローン=人間ではい(使徒っぽくなっている)
 B:シンジ=人間ではない
  →シンジ=クローン

 という三段論法が成立しそうだ。

 ・・・シンジはクローン・・・なのではないか?

 だから、ずっと14歳なのでは。
 そして、それはエヴァの呪縛と言われていることからエヴァパイロットは全員その状態なのではないか・・・?



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→いやいや、そもそもシンジはアダムそのものなんじゃないか??という考察もやってます。
 最近はこっちの方が可能性濃厚かと思います。
 こちらも見てみてください。→リンク

↓ぜひもう一度「破」をチェック


旧作はこちら



ちょっとした本の紹介

本当は3もあるんですが、もうアマゾンにはないみたいですね。しょうがない10年は前の本ですから。
この本は庵野監督がかなり初期の段階で書いた「字コンテ」です。
一行あたりフィルムの1シーンとして書いている様ですが、設定の変遷がかいてあって、セリフの追加や削除があり 「なぜ、そのセリフが追加されたのか/なぜ削除されたのか」なんかを考えて読むと色々想像がふくらみます。
 たとえば、今はよく見るゼーレはこの段階ではエッセネという名前でした。これがどういう意味かは是非ググって見てください。

諸感 ヱヴァンゲリヲンQ 


エヴァンゲリオンQ批評

公開から一週間たってはいたが、エヴァンゲリオンQを新宿バルト9で鑑賞してきたので感想、いやむしろ批評を行ってみたいと思う。

以下「ネタバレ注意」















見た直後の感想は2点。
感想1:「は・・・?」
感想2:「面白くなかった・・・」

それで一日置いての感想は
「まあ、これでよかったのかもしれない」である。

以下、詳述する。

今回のQは破からのつながりが必ずしも明確に述べられているわけではない。
繋がっているにしては、細部が微妙に連続性を失っていて、果たして本当に破から直接繋がった話なのか?
という疑問を持たずにはいられない。

 例えば、ミサトの態度とかや、サードインパクト(ニアサードインパクト)の後の世界としては、不自然な点なども感じる。その他の類似点・相違点は他のサイトに任せるが、これは本当に続いているのか、という疑問を感じる。なにかシンジの記憶だけが続いていて、他の世界が再構築されているかのようだ。
 Qの物語の中自体でもどうも繋がっていないような感じもして、その連続性の無さはあたかも我々が通常に見る夢の中で状況の連続性が失われてるのに、当の本人は夢から覚めるまで気がつかない、あの無連続性と同じような印象を受ける。

全体的にストーリーがつかめないので、状況に入っていくことができず少なくとも初見ではポカーンとするしかなかった。状況さえ理解しずらいのでやや置いてけぼり感があり、面白い!という印象は受けなかったのが逆に印象的だった。


■面白く無くていい。
他所に良く見るように、別に謎をちりばめるのが主題だったから面白くなくていい、ということではない。

私は旧世紀版を中学生くらいに見ており、EOEを見たのが中学三年生くらいだったと思う。
当時、その凄惨さに身震いしたし、ただただ、迫力に魅了され、なんなんだこれはという感覚から、謎解き系の本もよく見たものだ。

謎解きは面白かったし、映像の迫力と謎の解明は十分に魅力的だった。

ただ、今になってみれば、謎解きをしたがるモチベーションを自覚する時があり、
気持ち悪いなと感じずには入られない自分がいる。

つまり、自身と他者の関係性に苦しむ時代にあれを見て、
ちゃぶ台返して「もう自分も他人もなくなってしまえばいいのに」と投げやりな精神状態をエヴァンゲリオンはは代弁してくれていたと感じる。アニメーションの迫力と、自分と他人の境が無くなるという結末にはなにかユートピア的なものを深層心理で感じていたのではないかと思うわけだ。

これがモチベーションになって、このエヴァンゲリオンの世界が「完成されたものであってほしい」という願望に結びついていた。
つまり、この作品が現実世界でも説得力のある結論であってほしいという欲求が働いていたとがんじている。

さまざまな設定にリアリティが欲しかった。そして、それを理解したいという欲求があった。言葉に出来れば馬鹿げたことだが、言葉に出来なければそれを意識的に批判することもできない。そんな、レベルでそれを求めていたように感じる。

■滑稽なこと
でも所詮は作り物で無理やりに完全性を求めることも滑稽なことだ。
監督の庵野氏のセリフとして「エヴァは衒学が聞きすぎた」とか「現実を見ろ」という言っていると聞いている。

確かに基本的に作り物であるものに完全性を求める有様は、狂信的で滑稽だ。
もともと作り物であるものに「設定」「世界観」の完全性を求めてくる視聴者を「気持ち悪い」と思っていたのかもしれない。

旧劇場版のラストの「気持ち悪い」のセリフは担当声優に監督が「もし夜に目が覚めて誰か見知らぬ人が自分でオ○ニーしていたら、どう思う?」という問いかけの結果のセリフだという。この心境、もしかしたら監督の気持ちそのものだったかもしれない。つまり、見た奴らが勝手に解釈して勝手に気持ちよくなってんぞと。

■Qのわけのわからなさ
その一つのメッセージがQのつまらなさだったのではないか、と思うのである。
先にQには感情移入ができるところが少なかった、と述べたが実は誰にというわけではなく、共感する部分はあった。

というのは、14年の眠りから目覚めた後シンジに対する周りの風当たりは強いあたりで特に感じる。起こってる事象のわけのわからなさ。本人がわからない力学でなにかか進行しているのに、その文脈に入れずに途方に暮れる。


それを見て「ああ、世の中ってこんなもんだよな」と感じた。たしかにミサトも破の最後であんだけシンジの背中押しておいて、これかよ、とも思うが、なにせ14年も過ぎているから途中なにが起こったかわからず批判することもできない。
 だが、ある人が後押ししてくれたからと言って、その人がいつも味方であるとは限らない。というか、いつかの誰かの優しい言葉なんて、その時の状況によってひっくり返るし、別段その人が悪いわけでもなく、そうなるものだ。逆にひどいことを言った人が突然助けてくれることもある。
 ミサトの場合はゼルエルからネルフ関係者を救ったシンジの意図はサードインパクトを抑える結果も予想され、シンジの成長もそこにあわせて願い、後押しを本心から言っていたとしても、結果的にシンジ自身がサードインパクトをおこし、ミサトの人生やネルフの皆の意義からもシンジ自体が使徒以上に危険な存在となってしまったという点では、この手のひら返しは納得できなくもない。その段階でシンジはミサトやネルフ職員からすれば単体でサードインパクトを起こせる最悪の悪魔になっているわけだから。シンジは自分のもった力に対して無自覚すぎると周りからは見えているだろう。この自分の責任を認識していない様子、たしかにガキと言われても仕方ない。まあ、シンジはそれを理解するチャンスは無かったわけだが、現実世界でもそれは言い訳にしてくれないから、たぶんそんなものだ。
 誰が何を言ったとか、約束などにこだわりはせずただ状況の変化によって、状況を理解し人のあり方だって状況の一つに過ぎないというのは、私は社外に出てから学んだことの一つでもある。

 そう。シンジが置かれた状況というのは、ちょうど社会人一年目くらいの自分に近いなと感じた。それは別にシンジに感情移入しているわけでもなく、「確かにこんな状況を理解できないわけのわからないことだらけだよな」と見ていて思ったのだ。
 そもそもこれまでながれてきた会社の流れがわからないし、自分に与えられる評価や周りの言説、行動も含めてかなり理解不能だった。しかし、そういう状況を含めて対処しなくてはならない、という泣きそうな置いてけぼり感と苦しさや、残念ながら泣いて家にいることもできないとい追い詰められ方で、少しづつ覚悟も決まっていったものだ。今になって思えば、新入ひさ社員として会社に入って、自分に期待されてる役割というものがあり、それは会社の文脈で決まっており、これまでの自分とはなんの連続性もない。別に自分はシンジのようなスゴイ役割はかされてないけど、自分の連続性を失った自分の与えられた役割で苦悩するという構図は変わらない。

エヴァQのわけのわからなさというのが、そういうことを暗示してるのかな、と思う。例えば「バカの壁」の養老孟司は「人生なんて基本的に分けの分からないもののはずなんですよ」ということを言っていたと思うし、たしか宮崎駿も同じようなことをいってなかっただろうか。

 もし学ぶべき現実感というのが、そういった「わけのわからなさ」だとすればエヴァQはそういう作品だった。かつてのエヴァにて人類補完計画によって魅了され、その作品の完全性を求めていただろう自分にとっては、そもそも現実にそんなに完全に理解できるものでもなく、またそれを理解できたところで、なにかがあるわけでもないのに、なにか閉じた世界観に救いを求めていたということが滑稽だったと再認識したという意味では十分魅力的な作品といえる。
 そして、エヴァの世界の謎はたぶん収束しないだろうから、そういう意味で求め続けても仕方がないだろう、ということも言える。

また、さらに言うべきことは、今回エヴァQに提示された謎達があまり魅力的ではないということもこの考えに拍車をかける。
 はっきり言って新戦艦がどーやって出てきたのかとか、なんであんなもん作れるんだ、どこの金であんなもの作れるんだとか、人類がほとんど死に絶えているというならそれだけの金と労働力はどうやって拠出したんだ、という問題があるが、正直どーでもいい。
 ネルフに問題があることが分かった国連あたりが作ってることになるんだろうが、ネルフ本体を叩くならあんなモノ作るより、旧劇場版の戦略自衛隊みたいな対人間用の軍隊を作って、ゲンドウと、冬月を叩けばいいわけだから、あまり魅力的な設定は出てこない気がする。使徒の殲滅も課題だからATフィールドを使う必要があったなら、別にエヴァンゲリオンを作っておけばいい話で、実際それまでの使徒は別段初号機を使わなくても倒せていたのだから、わざわざ初号機の帰還を待たなくてもよかったはずだ。

どちらにせよ、どの解釈を与えてもどこかで破綻するようにできていると思う。そこには「エヴァに解釈を求めて、完全性を求めてもなんにも出てこないよ。というか、そんなものを求める方が間違ってる」というメッセージが入っていそうだ。実際、監督はそんな、趣旨の発言をしているのだし。

 そういう意味では新劇場版はそれぞれに適切なメタメッセージを含んでいるのかもしれない。Qの場合は謎がなんちゃらと言ってる人間はなんのためにそれを欲しがるんだ。そんなもので逃げ込んだとしても、なんにもならないし、そもそも求めるべきじゃない。そして、謎の解釈とやらが好きな連中の心象はそもそも気持ち悪いんだよ。そんなものに現実ぽさを求めてなんになるんだ。というメッセージだとすればそれは成功していると思う。つまり、「ほら、つまらないことだろ?そんな妄想」というメッセージ。

Qは胎動という、意味のQuickeningの略だが、もういい加減エヴァに逃げ込むことをやめて、人々の胎動を促したいという意味にも見えるのが、おもしろいな、と思う。旧劇場版ではそれをやろうとして、見事に失敗してるから、今回は成功かもしれない。

だから、何年後になるかしらんけど最終作を流し見てエヴァは俺の中のエヴァは終わるだろうなと思う。若い頃の葛藤のモチーフとなり、自分のポートフォリオの一つにしまわれていくだろう。

カシウスの槍 考察


カシウスの槍考察

 エヴァQでは新しくカシウスの槍がでてきた。
  エヴァQではカヲルくんが「カシウスの槍」と明言しているし、エヴァ破で最後にサードインパクトをとめたのがカシウスの槍だろう。

  仮説として以下を述べたい。
  カシウスの槍とはATフィールドが物質化したものであると。

 *旧劇場版ではロンギヌスの槍はアンチATフィールドが物質化したものであるという考察がでておりこれを正しいと置く
  http://homepage3.nifty.com/mana/chu13.htm



   


 旧世紀版ではロンギヌスの槍しか出てこなかったが、もしそれと対をなすものがあるとすればそのものはATフィールドの物質化したものであると考えるのが自然であると言える。

 もしカシウスの槍がATフィールドであるならば、Qのシーンを説明できる部分がいろいろ出てくる。

 
1:カシウスの槍でなぜサードインパクトがとまったのか。
  →サードインパクトとは、生物がもつATフィールドを取り去り一つにするものだから(旧劇版踏襲)、その行為自体がアンチATフィールドを世界中にふりまくものと言える。
    つまり破では既にガフの部屋(魂が変える場所)が開かれており、人々はアンチATフィールドにより生物の個体を保つことができなくなる状況になっていたと思われる。
    言いかえれば、あの時初号機自体がロンギヌスの槍=アンチATフィールド自体になっていたと解せば。ATフィールドの化身であるカシウスの槍で貫かれたことによって、アンチATフィールドが消滅した=サードインパクトが止まったと解すことができるのではないか。

2:なぜカシウスの槍とロンギヌスの槍があればやり直すことができるのか。
  →世界を再構成することができるから
   1:ロンギヌスの槍=アンチATフィールドで一度世界を壊し切る
   2:カシウスの槍=ATフィールドでもう一度作り直す
 Qではサードインパクトは途中で止まってしまったので、ガフの部屋は開きっぱなしで、生きている人と死んでいる人が別れてしまった。一度サードインパクトを完遂させATフィールドで再度作りなおすことができる。また、旧劇場版ではシンジの願いは人間がバラバラに戻り「皆と合う」ということだったから、少なくともシンジとアスカは復活している。旧劇場版はシンジとアスカしか復活していないとするとシンジの願いは「叶っていなかった」と解釈する方法もあるその他に他人がいないから。旧劇ではアンチATフィールドを世界中に展開する方法がある(ロンギヌスの槍)のに、ATフィールド(カシウスの槍)を世界中にまき散らす方法がない。
 新劇ではロンギヌスの槍と同時にカシウスの槍があることで、壊れた世界を再構成する方法がある。
 それを指して、カヲルが「元に戻すことができる。もう一度人間が固体として生きる方法がある」と指摘している。

 魂が二つ必要だと言ったのは、ロンギヌスによる破壊とカシウスによる再構成の一つ一つに人間一人の願いが必要だったから。人間の願いというとパチもん臭いが、旧劇でも世界の在り方はシンジの願い一つで決まっているので、そこまでおかしくはない。


というわけでカシウスの槍=ATフィールドだと全体的に話の辻褄があう。

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他の考察
エヴァの呪縛 考察 →碇シンジクローン説
http://wevaq.blogspot.jp/2012/12/blog-post_23.html

なぜシンジは単独で初号機を覚醒させることができるのか?シンジ=アダムスの一人仮説
http://wevaq.blogspot.jp/2013/04/blog-post.html



さて、「Q」DVD・ブルーレイ発売されましたね!
みんなで見て、考えましょう!