碇シンジがアダムである(再+補)
碇シンジがアダムスの一人そのものという仮説は以前に述べたとおりだ。
↓リンク
理由はシンジの赤い目、暴走前に初号機を覚醒させる力などを示した。
その後別の理由も見つけて、シンジが目を覚ました時とリツコがトリガーを調整している時にDSSチョーカーに使徒封印用呪詛文様が浮かびあがっており、シンジが少なくとも使徒である可能性を示している。
シンジの自我とアダムの関係:ヒント=ウルトラマンと同構造?
さて話は飛ぶが、シンジがアダムであるというのは、言ってしまえばこれはウルトラマンの設定とほぼ同じであるともいえる。
ウルトラマンでは人間がウルトラマンに”変身”すると表現されるが、厳密に言えば人間の中にウルトラマンが憑依している状態で、その人間もウルトラマンも元々は別の存在であった。
この状態で初代ウルトラマンのハヤタ隊員を指して「お前の正体はウルトラマンだったのか」ということもできる。ハヤタ隊員自身もウルトラマンを召喚するとか、ウルトラマンを呼び出すではなく、「変身する」ように思っているし、自我もほとんど融合している。
ただし碇シンジは自分自身がアダムであるという自覚はない。
それは比較的分かりやすい理由だろう。ウルトラマンの場合はウルトラマンは自我のあるハヤタ隊員に乗り移ったが、シンジの場合は胎児か生まれた後すぐの時にアダムの魂を移植された可能性もあるからだ。
ちなみに、破の次回予告にウルトラマンのマークを額につけた光の巨人4人が搭乗している。
これはアダムスがウルトラマンが近いなにかだということを示しているのだろう。
ちなみに、そうだとすればアダムとシンジはエヴァとシンジの関係と相似形だ。
シンジがエヴァに乗り魂を渡すように、シンジという個体にアダムがいることになる。
サードインパクトの時にシンジはアダムそのものになった?
サードインパクトの時はシンジは、結局あの後アダムそのものになってしまったのではないか。
綾波レイはリリスになったか
この話は脇道から展開した方が伝わりやすいだろう。
ブンダーで幽閉されている時ミサトは「綾波レイはもう"存在"しないのよ」と言った。
「死んだ」でも「サルベージされなかった」でもなく「存在しない」と言っている。
アヤナミレイはその後も生産されているようだが、綾波レイが「死んだかどうか」ということを明確に言い切れる理由にはならない。このセリフはかなり奇妙で、シンジがサルベージされた以上綾波レイもサルベージされる可能性もあったはずではないか。
*ちなみにヴィレは碇シンジにも復活してほしくなかったに違いない。ミサト個人の感情は別にして。
それについては→こちら
しかし、それはなかった。もし何か別の要素がなければ”あの時代の綾波レイ”はサルベージされなかった」という表現になるはずで、なにか綾波レイは”消失した”と言える何かがなければならないのではないか。
それは綾波レイがリリスの魂を持ってリリスとして復活したという事実があったのではないか。
ほぼEOE(旧世紀劇場版)に近い流れだ。
それがサードインパクト(ニアではなく)の時だとすれば、「綾波レイはリリスになっており、綾波レイという存在ではなくなった」という状態であるとすれば、ミサトの「綾波レイは存在しない」という表現も納得がいく。
*補論あり ⇒ブログ最下部
シンジはアダムになった?
この話で考えるとシンジもサード時にアダムになっている可能性があり得る。
これは仮説の上の仮説になるが、作中から引き合いを出すなら以下の点だ。
リツコ:「(復活したシンジの説明として)ニアサー時を100%再構成して同じである」
時系列で言えばニアサードインパクトの後サードインパクトがあるので、その時シンジがの存在が確認されているなら「サード時を再現」という表現になるのではないか?またこのセリフも「14年前を再現」ではなく「ニアサード時」というところもやや奇妙である。
この「ニアサード時」という表現は「ニアサード時“まで巻き戻っている”」と言いたいのではないだろうか。
とすると、サード時は少なくともニアサード(破最終場面)の後、シンジはなんらかの変質を起こしてしまったのではないだろうか。
それが疑似ではないシン化=神化だったのでは。神児(シンジ)は神(シン)となっていたのではないか。
作中にサードの描写は全く出てこない。場合によっては、アダムとリリス(旧綾波レイ)が二体同時に復活してた可能性もありうる。凄い状況だ。
復帰した時、彼がシンジなのかアダムなのか人々は分からなかった。
いや、むしろ初号機の中にシンジと言える存在が残っていたのかどうかも判然としなかったかもしれない。
はたして復帰した存在が碇シンジの個体を持ったアダムなのか、それともアダムとは切り離された碇シンジなのか(しかしDSSチョーカーの反応と深層シンクロテストさらに「トリガーとしての可能性がある」というリツコの発言から、切り離されていはいないと思える。)、判然としなかったとすれば、非常によくわかる反応である。
シンジ自身ほど、ミサト達にとってはシンジがシンジであると思える確証はないのだ。そこにはミサトが「行きなさい!」と言った同じ存在としての碇シンジとは到底思えない背景がある。
そして、シンジは結局人間碇シンジとして復帰した。
その祖語が「碇シンジ君・・・でいいのよね?」のミサトのセリフの裏にあるのではないか。
冬月のセリフ「あの娘の魂も初号機の中にある」をどう見る
人々は以上に述べた状況によって、綾波=リリス シンジ=アダムと認識している。しかし、アダムの他に碇シンジとしての自我も別にある。そうだとすれば綾波レイも碇シンジと同様に、彼女個体の自我と魂を持っているのではないか。
この自我の問題は、黒いアヤナミレイでも見られる。「私はなに?」という問いかけを黒アヤナミは発しているが、それぞれの個体は個別に自我を持っているようなのだ。
つまり、碇シンジにしても、綾波レイにしても黒いアヤナミにしても、アダムとしての存在、リリスとしての存在、クローンとしての存在を持ちながらも、それぞれに「自分」を持っている、という描写なのではないか。
破における「綾波は綾波しかいない!」と言った時の綾波。そして冬月の「あの娘」が示すのは、人間としてシンジやトウジ達と水族館に行き、個別の「人生」を送っていた綾波レイのことを示しているのではないか。
それはリリスとは別に綾波は綾波でしかなく、その記憶と自我はまだ初号機の中にあると言うのだろう。
この仮定によって、いくつかの疑問が答えられるだろう。
1:ミサトはなぜ「綾波レイは”存在しない”といったのか」
2:ミサトはなぜ「碇シンジ君・・・でいいのよね」と言ったのか。
3:人々が碇シンジを怖がる意味(リツコ「あなたに対する「不信」と表現したこと)
3:リツコのシンジに対する「罰」の発言
⇒これはシンジがサードを起こしたという意味の他にシンジの存在に対する「原罪」に対する罰という意味で。
そして、この中からメッセージはある。
結局アダムであろうがリリスであろうが、与えられた生の役割や呪縛の中でも、それぞれに自分の自我で歩んだ人生こそを肯定する姿勢。
エヴァンゲリオンにはそんなメッセージが最後示されるのではないだろう。
そして、再び「僕はここに居てもいいんだ!」という最後を迎えるのかもしれない。
補論
また、別の考察に示したように、綾波ユイがリリスそのもの(もしかして綾波ユイはリリスの人間形態だったのかもしれない。アダムの人間形態がシンジであるように)だという可能性もあることから綾波ユイが復活したという表現もあり得る。
参考リンク:シンジの母親(ユイ)はリリス本人説
もちろん、綾波ユイがリリスであった場合、シンジにアダムの魂を植え付けるのは、シンジが生まれた後、ということになるだろう。ここのボタンをかけ違えるとサードインパクトになってしまう。
ユイがリリスそのものであるとするなら、シンジは生まれた後にアダムの魂が植え込まれたことになろう。ちなみにそうするとシンジはリリスの子であるという意味で神の子でもあるし、
さらにアダムの子供形態という意味で神の子でもあるからその意味でダブルミーニングであり、さらにリリスの子なら、シンジはリリスの子たるリリンと兄弟であり、「シンジは単体で全人類の弟」というかなり特殊なポジションが与えられる。
そういう意味ではシンジはすでにかなり特殊な存在で、シンジ単体で神自身でもあり神の子でもあり、人類全員の弟分でもあるわけで、もう人間の自我があるということ自体が不思議なくらいの超絶チートキャラである。人外であることには変わりないが。
ちなみにそうだとするとリリンの王たりゲンドウとシンジは、シンジはゲンドウの子供でありながら群体としての弟でもあるという神話にありそうな話になる。
このようなかなり特殊でもはや人類の敵か味方かというレベルの存在であるシンジはあくまで人間碇シンジとしての自意識しかないため、極めて危険なのだ。その能天気さが人々をいらつかせるのである。
そして、ヴィレはインパクトを防ぐための存在。そして、シンジはエヴァにも乗れない「インパクトを起こす可能性があるだけの存在(アダムであろうがなかろうがインパクトを起こすのは変わらない)」。
そもそも存在意義からして真っ向から対立しているのがシンジとヴィレ(ミサト)なのである。
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